かんとくの日記

Gooブログ移民。東京在住会社員の音楽・演劇・本・旅などのゆるゆる備忘録。 Since2008

森永卓郎『書いてはいけない 日本経済墜落の真相』(フォレスト出版、2024)

昨年(2025年)の1月に他界された森永卓郎氏の遺作とも言える一冊。2024年3月初版であり、既に病気と闘っていた氏があとがきで「遺書でもある」と書いた一冊である。地元の図書館で予約を入れてから8ヶ月経って、やっと回ってきた。

ジャニーズの性加害、財務省の財政均衡主義、日航123便の墜落事件の3つのトピックについて、一般メディアでは語られない「事実」を指摘する。ジャニーズの件は既に公になっているし、財務省批判は社会運動化したりしたところもあり、内容的には大きなサプライズは無かった。ジャニーズ問題は論外だが、財務省問題は様々な論点があるので、賛同できないところも多いが、一つの見方としては理解できる。

日航機墜落原因に自衛隊関与(誤撃墜)があったという説は、「陰謀論」的に聞いたことはあったが、まとまって読んだのは初めて。ただ、多くを青山透子『日航123便墜落 遺物は真相を語る』(河出書房新社)に拠っているので、興味ある場合はそちらを読んだ方が良いかと感じた。

今はネット上に溢れる偽情報の中で「事実」を篩にかけるのに多大な労力がかかるが、マスコミが主たる情報源だった時代では、書かれないタブーの「事実」があったのは間違いない。それを世に知らしめた氏の存在は一定の影響力があったと思う。氏を偲びながら読みたい一冊。

 

鄭義信『焼肉ドラゴン』(角川文庫、2018)

 

昨年、私にとって最も印象に残った公演と言える「焼肉ドラゴン」の文庫本があることを知り読んでみました。舞台が2008年初演で、文庫化が2018年なので、映画化(2018年)に合わせて出版されたもののかと推察します。

時生(焼肉屋夫婦の長男・中学生)の視点で、舞台を忠実に小説化しています。読みながら舞台が脳内で再生され、改めて笑ったり、はらはらしたり、うるうるきたりでした。その一方で、舞台は小説以上に雄弁だったことは間違いなく、演劇の力を強く感じました。

小説で確認したかったのは、舞台を見ていて気になった、時生の死は自殺だったのか、事故だったのかということ。残念ながら、小説でもそこは明確には記載されていませんでした。

「今となっては、あれは自殺だったのか、事故だったのか、ぼくにもわからない・・・・」(p.138)

ほぼ完全な舞台の小説化ですが、細かいとこでの違いはありました。例えば、舞台上のセリフでは「宿命」と言っていたところは、小説では「八字」(パルチャ=運命)と表現されていたりして、なるほどと思った次第です。

舞台、小説と楽しんだので、あとは映画版をみるだけなのですが、舞台の印象が上書きされないかが心配で、まだ見る気がおきません。演劇の演出・原作の鄭義信氏が映画の監督を務めているので、きっと映画ならではの表現がされているのだろうとは思うのですが、まだしばらく舞台の余韻を引きずっていたい気分です。

いくつも印象的な台詞がありましたが、ラストシーンの龍吉(焼肉屋主人)の台詞を書き抜いておきます。

「春の風に桜が舞うとる・・・・・・えぇ心もちや・・・・・・こんな日は、明日が信じられる・・・・・・たとえ、昨日がどんなでも、明日はきっとえぇ日になる・・・・・・」(p.184)

(2026.2.26)

斎藤ジン『世界秩序が変わるとき 新自由主義からのゲームチェンジ』(文春文庫、2025)

 

最近、読書記録の記事を全然アップできていないのだが、細々と通勤読書は続けているので、雑な感想文としてとりあえずアップ。

本書は職場の同僚のお勧めで手に取った本であるが、一時はベストセラーリストにも名前が挙がっていた書籍。

著者はアメリカのヘッジファンドへ経済や投資についてのコンサルティングを行う会社でコンサルタントの経験があり、現在は在ワシントンの投資コンサルティング会社の共同経営者である。

本書における筆者の主張を簡単にまとめると、1990年代からの新自由主義(小さい政府、市場主導、民間企業や個人の意思・選択を重視)全盛の時代の終りが2020年代から始まり、新自由主義のもとで勝ち組となった中国は、ポスト新自由主義の時代においては世界経済の胴元である米国のターゲットにされて負け組になる。一方で、新自由主義時代に負け組の椅子に座らせられていた日本は、中国の対抗軸として再び勝ち組の椅子に座ることができる。今は時代の「大転換」の真っただ中であり、日本はこのゲームチェンジを上手く活用しなければならない。ということだ。

学びと疑問が同居する読後感である。世界経済を見る一つの切り口が得られた点はよかった。一方で、マクロ視点でのメガトレンド的な議論なので、素直にうなずけないところもある。

これまでの新自由主義的な価値観が世界的な信任を失っているというのはその通りと思うが、その揺れ戻しで日本にチャンスが巡ってくるのだろうか。そしてそれは、胴元としてのアメリカの優位が続くという前提なのだが、そうなのだろうか。

そして著者も言うように、チャンスが巡ってきても、それを活かせるとは限らない。人口構成、格差拡大、地方衰退、国を引っ張る成長産業などなど、日本国内の政治・経済・社会的課題はあまりにも多い。ドラスティックな改革には踏み込まない政治家とそうした政治家を選ぶ国民によって構成されるこの国が、このチャンスを活かすには、相当ハードルが高い気がする。

岸田元首相が、防衛費倍増(本当?)、反撃能力の保有、日米韓関係の再構築と言う結果を出したのでワシントンの評価は著しく高かった(p248)というのは意外だったが、それをさらにパワーアップしたように見える高市首相はもっと評価が高くなるのだろうか。評価と言ってもそれはアメリカ(ワシントン)の評価であって、それが真に日本にとって良いことなのか。

平易に書かれているが、世界経済の見方に一つの視点を与えてくれる点において本書はとても勉強になる。自分で考える出発点になる一冊だった。

 

村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(新潮社、1985)を再読!

書棚から単行本と文庫本を引っ張り出してきた

近く「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の観劇に行く予定があるので、30年以上ぶりに原作を読み返してみた。

学生時代に貪り読んだ物語で、当時は「村上春樹の中でも特に好きな作品」と位置づけてたのだが、時間も随分経って記憶も薄れてしまっていた。一年半前に『街と不確かな壁』を読んで、作者があとがきで『世界の終りと・・・』と「並列し、できれば補完しあうものとして」書いたと述べていたが、どこが並列で何が補完なのかもピンとこなかった。残念ながら、学生時代に本作品をどう読んで、どう感じたのか、どこが当時の自分に刺さったのか全然覚えてないのである。なので、殆ど初めてのような感覚での読書となった。

改めて読み進めてみると、現実と非現実が交錯した設定の中で、スリリングな展開でグイグイと読ませるのは流石である。暗く霧がかかったイメージを抱かせる「世界の終り」と、日常の現実と荒唐無稽な地下世界が混ざり合った「ハードボイルド・ワンダーランド」のパラレルワールドに浸る読書体験の興奮は村上作品ならではだ。

表層意識と深層意識、「こころ」、自己のアイデンティティという一連の本作品のテーマは、発刊当時から30年以上経過した今においても現代人が持つ共通のテーマ(脳科学の知見はもっと進歩しているのだろうけど)。なので、謎解き・冒険のワクワク感を味わうエンタメと自己探求という哲学的な問題意識の両立が、村上作品の魅力と改めて感じた。

一方で、作者の作品は、多くのポップス・ロックなどのレトロな音楽・文化・芸能ネタが多数引用されるので、今の人が読んでもこの時代のニュアンスを理解するのは難しいだろう。また、細かい状況描写は回りくどくて、本当に必要なのかと感じる部分もある。

返す返すも、学生時代にこの物語のどこに心を震わせたのかを思い出せないのは残念。読書記録をとっておきたかった。そして今、演劇は本作をどう表現するのか。興味津々である一方で、小説を読んで出来上がった自分のイメージが演劇により書き換えられるとしたら見るのが怖い。

改めて『街と不確かな壁』も再読してみたい。まだ2年程しか経ってないが読み方も変わってくる気がする。

 

 

 

コンパクトに人事の実践と理論がまとまった良書: 高倉千春『人事変革ストーリー 個と組織「共進化」の時代』(光文社新書、2023)

 

 

著者は、コンサル会社、外資系企業、日系企業と人材マネジメントの世界を渡り歩いてきた人事のプロ。自らの人事・組織変革の歩みと経験をもとに今、そしてこれからの人事に求めれる変革やマインドを説く一冊。

とても分かりやすく、ポイントが明確に記述してあるので、人事変革の全体像をつかみつつ、各社の個別ケースにあたることができて、具体と抽象の双方を行き来できる良書であると感じた。惜しむらくは、紙面の都合上、個々のケースは絞って書かれているので、変革の際に起こりうる細部の様々な壁、抵抗についての記載は物足りないところがある(現役の職業人として、会社は離れても様々な人脈は維持していかねばならないので、なかなか赤裸々には書きにくい事情があるかとも思う)。

個人的には、伝統的な日本企業が脱皮を計るために、人事変革を仕掛けていくロート製薬のケースが興味深かった。「手を挙げる文化」の醸成や昇格の条件が「学び続ける覚悟」と「挑戦する勇気」といった点など、自分の所属組織について考えるヒントになった。

また、外資系人事と日系人事の双方の組織を経験した筆者ならではの、日本企業がその特性を生かしつつ、激しい変化に強みを維持し続けるため必要なトランスフォーメーション(メビウス運動)について解説した「第5章 組織変革への道のり」も参考になる。

「インプットと行動実践の循環」を生み出す「トライ・アンド・ラーンの場の創出」、「社外にネットワークを広げる」、「地下文脈の明文化」、ジョブ型への移行により生じるうる従業員経験価値の低下(例えば、人事一筋)に対応する副業/兼業(社内でも可)機会の創出などをアドバイスされている。

筆者の高倉千春さんは初めて知った方だが、華麗な人事畑のキャリアにも関わらず、上から目線ではない語り口は好感が持てる。いろんな経験をされているので、今後、それらの経験を三枝匡氏の『戦略プロフェッショナル』シリーズのような、実名は変えた形でストーリー仕立ての読み物に仕上げれば、非常にリアリティ溢れる人事変革書ができる気がした。

組織・人事関係の仕事に従事される人にお勧めできます。

(2026.1.11)

 

津田建二『エヌビディア 半導体の覇者が作り出す2040年の世界』(PHP研究所、2024)

 

 科学ジャーナリストがエヌビディアを中心に半導体業界について広く浅くレポートする一冊。同社の創業から現在までの成長の歩み、強みについての記述をコアに、日本の半導体の衰退や、半導体市場の拡大と表裏一体のAIについての現状や未来についてもカバーしている。

生成AIで一世を風靡したOpenAIがマネタイズで苦戦している一方で、AIの基盤となるGPUを抑えることで、莫大な利益を稼ぎ出しているエヌビディアの理解が深まった。ただ、ファン氏をはじめとした創業者達の記載や企業の成長に必須の人材についての言及が多くないのは残念なところだった。

本書をもって、エヌビディアの成功要因を一般化されたビジネスの成功方程式として理解を深めることは難しいが、基礎的な情報を得るのには良い。平易な記述で読み易いが、その裏にあるすさまじい企業努力を感じ取り、なぜそれが可能となったのかを考えることが大切だと感じた。

(2026.1.9)

 
(備忘のため、一部抜書き)
NVIDIA の強みは何か。ゲーム分野、コンピューティング分野、AI 分野に共通する強みは、 GPU グラフィックスプロセッサという「ハードウェア」、並列演算を容易にする CUDAという「ソフトウェア」、さらにはカスタマイズや検証するための開発環境など、システム化するために必要な技術を盛り込んだソリューションすべて提供できることである。(184ページ)
 
NVIDIA は単なるファミレス半導体メーカーではない。GPU や AI チップなどの半導体チップというハードウェアを持っているが、用途開発を手助けするソフトエアライブラリやソフトウェア開発ツール(開発環境)などのプラットフォームを持つプラットフォーマーでもある。
NVIDIA は、顧客がやりたいことを実現するための「ハードウェア」と「ソフトウェア」、さらには「ソフトウェア開発環境」も提供する。これら全てを提供でき、顧客のソリューションを支援していることが NVIDIA の最大の強みだ。(196ページ)

人類とエネルギーの関係史: 古舘恒介『エネルギーを巡る旅』(英治出版、2021)

参加している読書コミュニティでの課題本でした。

環境問題、原子力発電問題など、世界的・地球的な課題について、エネルギーと人間の関係史の視点から人類史的スケールで捉えることを学べる一冊です。日頃は個人的に苦手意識のある切り口ですので、社会や人間を見る新しい思考の軸を得たという感覚です。

数十年前に学校教育で学んだはずのファラデーの発見や熱力学の第一法則、第二法則(エントロピー増大の法則)らの記憶の残骸を辿るのと併せて、現代社会の中でそれらの法則が持つ意味合いや、適用のされ方を知ったのは新鮮でした。

本書を通して、エネルギーについて探求し、解明し、利活用を進めてきた人間の英知に対する敬意とともに、際限のないエネルギー消費を求める人類の欲への恐怖を感じます。「環境負荷を全く気にすることなく人類が好き勝手に使ってよいような完璧なエネルギー源など、そもそもこの世には存在しない。・・・エネルギー獲得に関してもっと謙虚にならなくてはなりません」(p.264)を共通認識とすることの重要性には強く首肯できます。

また、残された時間を考えると「エネルギー資源の枯渇問題よりも人為的な気候変動の課題の方が重要度が高い」(p.308)ということや「コロナ禍による世界的経済停止による二酸化炭素減少量はパリ協定が求める水準に遠く及ばない」(p.324)との指摘は、地球・人類の未来について悲観的・ネガティブな気持ちにならざるえないところです。

そんな中、足元で私たちが今、何ができるのか、何をすべきか?この問いに対する筆者の主張は、エネルギー史の解説の切れ味と比べると弱い気がします。「安易な技術革新信仰を捨て、より深いところでエネルギー問題に正対する」ことが説かれ、「身体のリズムに耳を澄ます」、「粋・気障・野暮に通じる江戸庶民の生き方に学ぶ」、「お金を介さないギブアンドテイクの生活の取入れ」、「節約」と言った提言が記されます。

コロナ禍による経済停滞時ですらCO2削減目標には届かないという現実の中で、現代人のエネルギー消費の勢いに対して、この提言の実効性には無力感を感じざるえません。

それほど、現代人にとってのエネルギー問題は一筋縄ではいかない難しい課題なのでしょう。実効性うんぬんを語っているようではだめで、まずは行動を起こすことが大切ということなのでしょう。

まずは、これまでのエネルギーとの人類の関わりについて知るだけでも、本書の価値は十分にあると思います。

 

冨山和彦『ホワイトカラー消滅: 私たちは働き方をどう変えるべきか』 (NHK出版新書、2024)

 

冨山氏の著作は過去に数冊読んでいますが、舌鋒鋭く日本の旧システムの改革に切り込む姿勢、議論の切り口、そして内容に、多くを学んできました。

本書は、今後の日本が「少子高齢化による深刻な人手不足と、デジタル化の進展による急激なホワイトカラーサラリーマンの減少と人余りが同時に起こり、ローカル産業で人手不足、グローバル産業で人余りが生じる」(p.4)との認識のもと、これからの日本人への『シン・学問ノススメ』です。

本書において、筆者は(日本の)グローバル企業のホワイトカラーに対しては徹底して現実的で冷徹です。「ホワイトカラーに残る仕事は本当の意味でのマネジメントである。現状、いわゆる中間管理職が担っている管理業務ではなく、経営の仕事だ。これまでは数多くあったホワイトカラーの「部下仕事」は、生成AIに急速に置き換わる。」 (p54)といいます。

そんな中で、「企業は従業員に対して、数少ない「真のボス」ポストを目指して真剣勝負をしてもらうか、部下ホワイトカラーとしてAIの圧力で下がる賃金に耐えてもらうか、それとも人手不足かつ AI代替が起きにくいノンデスクワーカー技能職の世界に転職するか、を問うべき」(p.55)と言います。厳しいですが、もう既にホワイトカラーに突き付けられる問いであることは間違いないでしょう。

そんな世界だから、筆者はグローバルなメジャーリーグの世界で戦えるプロフェッショナルを志向するよりも、「アドバンスト現場人材やローカル系人材に変容することが一つの大きな方向性」であり、それが ホワイトカラーの処方箋になりうると主張します。(p.188)もちろん、人それぞれの志や考えによるとは思いますが、現実的な一つの考え方だと思いました。

そうした世の中で生き残っていくための、具体的な勉強の仕方についても筆者のアドバイスは具体的です。終身年功型サラリーマンな人々の取るべきアクションは、まずはリベラルアーツ基礎編(普遍的によりよく生きていくための基礎技能的意味合い)としての、言語的技能・技法(日本語、英語、 エンジニアリングの世界では 数学、熱力学、電子回路)、経済活動の言語(経済学と簿記会計、基礎法学、 統計学、基礎的な微積分レベルの数学力)を抑えておくべきとのこと。

そして、そうした言語的技法を現代にアレンジして身体化がすることも大切と説かれます。簿記会計はエクセルを使った財務三表の連動モデリング、基礎的な企業財務技法、プログラミング言語 や AIの基本構造、基本特性の理解(pp.. 189ー192)などです。これが基礎編でまだ応用編があるのです。筆者の求めるレベルは一般的なスタンダードからは相当高い!ですが、このぐらいのことはできないとダメと言うことなんでしょう。

ただ、本書は思いの外、読みにくいです。決して書かれている日本語が難しいわけではないのですが、話が飛ぶし、話題が対個人、対企業、対行政と様々な角度を含んでいるからです。それだけ、筆者の関心領域や課題感が広く深いと言えますが、編集がもう少し工夫すればいいのに、と思うところはありました。

 

(その他個人的抜き書き)

・パワーポイントスライドを書く力は必ずしも 文章を書く力を押し上げないので要注意だ。あのフォーマットはかなりごまかしが効くからだ。Amazon の会議ではパワポは禁止で書く側も読む側も書き下し文で行うことを要求される。(p 197)

・経営に近い仕事をしようとすると 「田舎の駅長さん」のような仕事をしなければならない。現場作業員、中間管理職、経営者の仕事を全て一人でやらなければならない。分業前提の仕事しか経験していないホワイトカラーは役に立たない。田舎の駅長さん的な業務をこなせて初めて人々は人間力を評価してくれる。(p221)
 

11ヶ月かかってやっと半分読了: 角田光代[訳] 『源氏物語』(1~4)河出文庫

今年1月から『源氏物語』を1週間で1帖づつ、1年ちょっとかけて読み進めようというオンラインのコミュニティに参加している。昨年、大河ドラマ「光る君へ」を見て、源氏物語の世界を覗いてみたいと思ったからだ。
ただ、年初に角田訳の8巻セットを購入したものの、私のペースは亀の歩み。枕脇に置いて就寝前に読むようにしているが、睡眠薬効果が抜群で、1日に5ページ以上読めたことがない。大抵は1、2ページで寝てしまっている。コミュニティのペースから完全に落ちこぼれており、11月末になってやっと半分に辿り着いた次第。
ということで、相当難儀しているのだが、折り返し地点まできたので、中間感想をメモとして残しておきたい。
興味深い点は、日本人は1000年前も今もそうは変わってないということ。平安貴族も現代人も、世間体をとっても気にしているし、人間の見栄や嫉妬というのも古今を問わず普遍的なものであることが良くわかる。
また、歌に現れる平安上流階級の人の感性には感嘆する。繊細で壊れやすく、流れ移る人間の心情や自然の有様を短い歌の中に細やかに入れ込む。その想像力と表現力には舌を巻くばかりだ。現在の日本にも名残は感じるものの、その美意識や感覚は相当変わってきた気がする。
当時の社会や風俗が垣間見れるのも面白い。朝廷での儀式、宗教観、いわゆる通い婚といわれるような恋愛作法、男女の立場など、生きた社会史の勉強になる。
ただスイスイと一気呵成に読めないのは、時間の流れがあまりにも緩やかで、関心ごとの優先順位は何よりも恋愛ごと、とも読める上級貴族の生きざまためだろうか。現代では浮世離れしすぎていて、ちょっとついていけない。
そうは言っても、やっと折り返し地点まで来たので残り半分。あと何ヶ月かかるかわからないが頑張って完走したい。
(2025.11.30)

宮島未奈『それいけ!平安部』(小学館、2025)

宮島未奈さんの作品を読むのは成瀬シリーズの2冊と『婚活マエストロ』に続いて4冊目。今回は高校入学したての女子高生を主人公に、彼女達が新しく創設した「平安の心を学ぶ」平安部の立ち上がりエピソードを微笑ましく描く。

舞台は関西(であろう)の菅原市という架空の地方都市。過去の著作のように、実在する町を明示しローカル色を明確に打出したアプローチとは少々異なっている。

毒気がなく、日常的で等身大の高校生たち(今どきの高校生は知らないけど)が、それぞれ悩みを持ちつつ、個性を発揮して頑張る。のびのび元気だが、どこかしら緩い雰囲気が漂うのが良い。ちょっとした開放感が味わえる作品だ。

スラスラ読めるし、心身疲れた帰りの通勤列車の中でのムードチェンジの読書用に最適。